マーティン・スコセッシ監督が悲願のアカデミー賞に輝いた、傑作犯罪サスペンス『ディパーテッド』。警察とマフィアが互いにスパイを送り込む緊迫の頭脳戦が魅力の本作ですが、物語の舞台であるマサチューセッツ州ボストンの泥臭い街並みには、20世紀後半のアメリカ裏社会を揺るがした衝撃的な歴史が隠されています。
劇中でキャラクターたちが身にまとうタフなワークウェアやエリート警察官のプレッピースタイル、そして要所に登場するアメ車や欧州車のチョイスには、彼らの出自や虚栄心が巧みに表現されています。
この記事では、実在した伝説のギャングとFBIの異常な癒着関係をはじめ、ボストンの街に息づくアイルランド系移民の独特なカルチャー、さらには劇中に登場するレトロな「コーナーストア」や「パブで飲む聖職者たち」の宗教的背景にいたるまで、作品のディテールを詳しく考察・解説。
A:『ディパーテッド』の舞台:ボストンの裏社会を牛耳ったアイリッシュ・マフィアの歴史など時代背景について
1. 「アイリッシュ・マフィアが街を牛耳る時代」だったのか?
結論から言うと、20世紀後半(1970年代〜1990年代)のボストンは、まさにアイリッシュ・マフィアが裏社会を牛耳っていた時代でした。
映画の時代設定は2000年代前半ですが、物語のベースになっているのは1970〜90年代にボストンに実在した伝説のギャング、ジェームズ・“ホワイティ”・バルジャーの半生です。ジャック・ニコルソン演じるフランク・コステロのモデルが彼です。
アメリカのマフィアといえばイタリア系(ゴッドファーザーなど)が有名ですが、ボストンにおいてはアイルランド系マフィア(ウィンターヒル・ギャングなど)が非常に強い勢力を持っていました。
2. なぜボストンでアイルランド系が強いのか?
19世紀半ば、アイルランドで大飢饉が起き、大量の貧しいアイルランド人がアメリカへ渡りました。その多くが定住したのが東海岸のボストンです。
- 差別からの団結: 最初期、彼らは激しい差別に遭いました。生き残るために彼らはコミュニティ内で強く結束し、やがて「数(投票権)」を武器に、警察や政治、裏社会の権力を握っていきました。
- 独自の縄張り: 劇中で「サウシー(サウス・ボストン)」という地名が何度も出ますが、ここは伝統的なアイルランド系労働者階級の街です。彼らは余所者を嫌い、独自のルールで結束していたため、警察の手が入りにくいマフィアの温床となりました。
3. 「警察」と「マフィア」の異常な癒着
映画の中で、コステロ(マフィア)とFBIや警察が奇妙な関係を結んでいるのに混乱したかもしれません。これも当時のボストンの衝撃的な実話に基づいています。
モデルとなったバルジャーは、なんとFBIの情報屋(インフォーマント)でした。
- FBIは「最大の敵であるイタリア系マフィア」を壊滅させるため、アイルランド系のバルジャーを利用しました。
- その結果、バルジャーはFBIにライバルの情報を売る見返りに、自分の犯罪(殺人や麻薬)を何十年も見逃してもらい、ボストンの帝王として君臨したのです。
映画で、警察もマフィアも「お互いの組織にスパイを送り込んでいる」という異常な状況が描かれるのは、こうした「同じ街、同じアイルランド系コミュニティの出身者同士が、警察とギャングに分かれて癒着し合っていた」という歪んだ時代背景があるからです。
B:『サウシーのストリートスタイルとエリートのプレッピー』ファッションについて
1. 地元の不良・マフィア:下層の「ストリート・スタイル」
レオナルド・ディカプリオ演じるビリー(潜入警察官)や、地元のアイリッシュ・マフィアたちの服装です。伝統的な労働者階級の街「サウシー」のタフな空気をまとっています。
- 定番アイテム: レザージャケット、カーハート(Carhartt)などの肉厚なワークジャケット、色褪せた太めのブルーデニム、そしてワークブーツです。
- アイリッシュの象徴「フラットキャップ」: いわゆるハンチング帽です。アイルランド系移民の労働者が歴史的に愛用してきた帽子で、地元への忠誠心や「俺はここの人間だ」という記号として被られます。また、映画ではスポーツブランドのベースボールキャップ(ボストン・レッドソックスなど地元チームのもの)を深く被るスタイルも目立ちます。
2. エリート警察官:お堅い「プレッピースタイル」
マット・デイモン演じるコリン(潜入マフィア)に代表される、マサチューセッツ州警察のエリートたちの服装です。ボストン近郊はハーバード大学などがあるアイビーリーグの聖地でもあるため、コンサバティブ(保守的)なスタイルが好まれます。
- 定番アイテム: クラシックなネイビーのブレザーやチャコールのスーツ、ボタンダウンシャツに、レジメンタル(斜めストライプ)のネクタイ。全体的に少しサイズ感がゆったりした、当時のアメリカのクラシックなビジネススタイルです。
- 対比の演出: コリンは育ちの悪さを隠し、エリート層に溶け込むためにあえて「仕立ての良い、清潔感のあるプレッピー(育ちの良い学生風)な服装」を徹底しています。これが泥臭い格好のビリーと見事な対比になっています。
3. ボスのコテコテな「成金マフィアスタイル」
ジャック・ニコルソン演じるボス、コスタロのファッションは、ストリートのギャングとも、上品なエリートとも違う「成金(ギャングスタ)スタイル」です。
- 定番アイテム: 派手なシルクのシャツ、ベロアのジャケット、あるいはビビッドなラベンダー色やピンクのスポーツコート(大ぶりなジャケット)など、自己主張の激しい色使いが特徴です。
- ボストン裏社会の絶対的な権力者として、法律も周囲の目も恐れていない彼の「狂気」と「傲慢さ」が、派手でどこか不気味な衣装に表れています。
総括:なぜ全体的に「地味で無骨」に見えるのか?
ボストンの気候は冬が非常に厳しく、街の歴史もアイルランド系やイタリア系の「汗水垂らして働く労働者」によって作られてきました。そのため、この映画のファッションには、華やかさよりも「頑丈さ」「防寒性」「地元民としての同調(悪目立ちしないこと)」が最優先される、ボストンならではのリアルな泥臭さが漂っています。
C:劇中に登場する車両やバイクにいて
1. マフィア・地元の不良:頑丈な「アメ車のSUV・セダン」
ボスのコステロやその手下たちは、裏社会の権力を誇示しつつも、ボストンの荒れた路面や厳しい冬に対応できる大型のアメ車(SUVやセダン)を好んで使っています。
- キャデラック・エスカレード(初代・2代目): ボスであるコステロの運転手が乗るなど、裏社会の成功者の象徴として登場します。黒塗りの巨大なボディは圧倒的な威圧感があります。
- リンカーン・タウンカー: 90年代〜2000年代初頭の、アメリカのギャングや裏送迎の定番大型セダンです。四角くクラシックなルックスで、悪事を働くにはもってこいの「いかつさ」があります。
- フォード・クラウンビクトリア: ビリー(レオナルド・ディカプリオ)が地元で乗っているような、少し型落ちしたセダンです。一般大衆やタクシーにも広く使われていたため、目立たずに街に溶け込めるリアルなチョイスです。
2. エリート警察官:ステータスとしての「欧州高級車」
一方で、警察内で出世街道を突き進み、自らを「上流階級のエリート」に見せかけたいコリン(マット・デイモン)の乗る車は、明らかに地元のギャングたちと区別されています。
サーブ・9-5(SAAB 9-5): コリンの愛車として印象的に登場するのが、スウェーデンの自動車メーカー「サーブ」のセダンです。当時アメリカのインテリ層や、高収入の専門職(医師や弁護士、警察幹部)に絶大な人気を誇ったブランドで、コリンの「スマートで育ちが良いフリをしたい」という虚栄心にぴったりな、洗練されたチョイスです。
3. 州警察(マサチューセッツ州警察)のパトカー
劇中で何度も登場するパトカー(ポリスカー)も、当時のボストンのリアルをそのまま反映しています。
フォード・クラウンビクトリア(ポリス・インターセプター): 当時のアメリカのパトカーといえばこれです。映画内でも、マサチューセッツ州警察の象徴的な「青と白」のカラーリングを施された車両が大量に登場し、緊迫した現場を埋め尽くします。
🏍️ バイク(二輪車)の描写について
映画『ディパーテッド』において、主要キャラクターがバイクに乗るシーンはほとんどありません。これにもボストンという舞台ならではの理由があります。
- 冬の厳しさと実用性: ボストンは冬が非常に長く、雪が深く積もるため、日常の移動や犯罪の足としてバイクは不向きです。
D:ボストンに実在する「コーナーストア」の役割
1. どんな商品を扱っているのか?
現代の日本の感覚で言うと、「セブン-イレブンの中に、お肉屋さんと、小さな立ち食いそば屋が同居している」ようなイメージです。
- 物販エリア: 日用品、シリアル、スナック菓子、缶詰、牛乳、卵、タバコ、新聞などが狭い店内にぎっしり並んでいます。これはまさに現代のコンビニやミニスーパーの役割です。
2. 気になる「カウンターと軽食」の正体
店の一角には必ず長い木製や大理石のカウンターがあり、数脚の丸椅子(スツール)が置かれています。これを「ランチカウンター(Lunch Counter)」や「デリカウンター」と呼びます。
- 何が食べられる?: 店主がその場で、鉄板でじゅうじゅうとベーコンや肉を焼き、チーズと一緒にパンに挟んだ「ホットサンドイッチ(パストラミサンドやベーコン・エッグ・チーズなど)」、自家製のスープ、ホットドッグ、淹れたてのコーヒーなどを提供します。
- なぜこのスタイルなのか: ボストンの労働者(ブルーワーカー)たちは、朝早くや仕事の合間にここに立ち寄り、安くてボリュームのある温かい食事を素早く食べて仕事に戻っていきました。マフィアたちにとっても、一般のレストランより余所者が来ず、身内だけで固まれる絶好のたむろ場所(アジト)だったのです。
3. 「カウンターに立つ店主」の絶対的な存在感
日本の昔の頑固な商店の親父さんのように、カウンターの向こう側にはいつも店主(オーナー)が立っています。この店主は、単に物を売る人ではありませんでした。
- コミュニティの顔: 誰がどこに住んでいて、どんな仕事をしているか、街の情報をすべて把握している「地域の顔」です。
- ツケ払いの管理: 映画のような貧しい移民の街では、手持ちの現金がない労働者のために、店主が帳簿に「ツケ(Tab)」を書いて商品を売るという、お互いの信頼関係(地元の絆)でビジネスが成り立っていました。
E:パブで飲酒するシスター(修道女)と神父(司祭)について
日本では「宗教関係者=お酒を飲まない、厳格でストイック」というイメージが強いですが、アイルランド系コミュニティにおいて、神父やシスターとお酒の関係は日本人の想像以上にフランクです
1. カトリックは「お酒の制限がない」
キリスト教でもプロテスタントの一部(特にアメリカの保守的な派閥)には禁酒を掲げるグループがありますが、アイルランド系が熱心に信仰する「カトリック」では、お酒は禁止されていません。
- キリストの血としてのワイン: カトリックのミサ(礼拝)では、赤ワインを「キリストの血」として全員で口にします。宗教の儀式そのものにお酒が組み込まれているため、飲酒に対する罪悪感がそもそもありません。
2. 「アイリッシュ」と「お酒」の切っても切れない文化
アイルランド系のルーツを持つ人々にとって、お酒(特にギネスビールやアイリッシュ・ウイスキー)は、生活の喜びであり、悲しみを癒やすための、水と同じくらい大切な文化のDNAです。
- 神父もシスターも「一人のアイリッシュ」: 映画に出てくる神父やシスターも、もともとは南ボストンの泥臭いストリートで育った地元の人間です。いくら神に身を捧げたとはいえ、アイルランド系の血が流れているため、仕事(職務)が終われば、地元のパブや集まりで親戚や友人とビールを飲み、世間話に花を咲かせるのは日常茶飯事です。
3. コミュニティの「身内」としての距離感
最初の質問の解説の通り、ボストンのアイルランド系は「身内の結束」が絶対です。彼らにとって、教会の神父やシスターは「遠い聖職者」ではなく、「何でも相談できる、一番頼りになる地元の親戚のおじさん・おばさん」のような存在です。
- パブが教会の延長線上に: 冠婚葬祭の後はもちろん、地域のイベントの後などに、神父やシスターが一般信徒と一緒にパブのカウンターに座り、お酒を酌み交わしながら「最近あそこの息子がグレちゃってね…」といった地域の相談事に耳を傾ける光景は、アイルランド系コミュニティの典型的な日常です

